蓮村枝履子(はすむらえりこ)
1963年生まれ。
東京都在住。18年間の出版社勤務を経てフリーランスに。
数々の月刊総合女性誌で得た経験をもとにビューティ&ヘルスアドバイザーとして、また、フリーの編集者として活動する。
心身の健康と美の探求、TM瞑想がライフワーク。
夫と息子、猫の4人(?)家族。







2005年7月1日金曜日。ついに念願であった米澤式健顔サロン通いが始まりました。
米澤先生はにこやかに迎えてくださり、黙々と健顔をし、そして、やはりわたしの肌については多くを語ろうとはしないのでした。
帰りがけに次はいつ頃来れば良いのかと相談すると「しばらくは1週間置きくらいがいいですよ」とだけおっしゃいました。
このサロン通いを始める直前までのわたしの肌状態は、と言いますと。毎朝、鏡の中の自分を見ると、いつもなんとなく全体に肌色がくすんでいます。
洗顔は毎日しているわけですから汚れているはずはないし…年をとると肌色がくすむのかしら…はぁ〜、と、まずは最初のため息が知らず知らずに漏れます。
でも、気のせいかも! 光の加減かも! などと思い直してメイクを始めます。
誰かの結婚式にでも呼ばれない限りはわたしの場合、ベースはパウダリーファンデーションのみです。下地クリームやコントロールカラー、リキッドファンデーションなど様々に試し、一時的には使ってもみましたがこれらの重たい感じのする質感に馴染まず、そしてなにより時間が経つとこれらによって小じわがかえって目立ったり、肌色がくすむので使うのを控えていたのです。
というわけでいきなりパウダリーファンデーションを顔の上に伸ばしていくのですが、この数年でいつの間にかできてしまった右瞼の目頭をきゅっと小さく摘んだようなドレープ状のヨレにぶつかります。
20代の頃に目撃した、新宿の盛り場で働いていたかなり年配の厚化粧の女性の瞼にできていたドレープ状のヨレとそっくりなヨレがわたしにもできていたのです。
あの方は60代くらいで、しかも厚化粧のキャリアも相当なものという感じだったのに、わたしは42歳にして仲間入りですか!? このヨレを隠そうとファンデーションを余分につけるのですがお粉が厚く盛られてかえって悲しい感じが増すばかり。
自分にもこのような形で加齢現象の波が押し寄せているのだと思うと「なんでじゃー!?」と叫びたいくらいでした。
しかし、叫ぶわけにもゆきませんので、はぁ〜と二つ目のため息です。
そして、本当に皮脂、汗が極端に少ない自分には無縁だと思っていた毛穴の開きが鼻の両脇にじわじわと広がり始めていることにも気づきファンデーションで一生懸命カバーしようと厚く塗ります。
開いた毛穴は一生見ない予定だったのに…はぁ〜と三つ目のため息です。メイクが仕上がって鏡を見るとまたがっかり。以前のまだ若々しかった頃のメイク顔のイメージがしっかりと頭の中にありますから、あれ? アイシャドウが足りなかったかしら? チークが足りない? アイラインが甘い? となんとか元に戻そうとするのです。
しかし、なにをやってもただ厚化粧になっていくばかりで、全体になんとなくたるんだような微妙に緩んだ衰え顔にはぁ〜と四つ目のため息。
子供の頃から気にしていたクマは相変わらずで、さらに両方の目頭の脇に当たる鼻の部分に黒い影のようなくすみの塊も目立ったまま。仕上げの五つ目のはぁ〜で終了です。
こうして滅茶苦茶テンションが下がった朝を迎え、げんなり気分で一日がスタートするのでした。
はぁ〜。
しかし、朝はまだまだマシだったのです。雑誌編集の仕事をしているときは深夜に及ぶことなど日常茶飯事なのですが、ある時、深夜2時くらいに会社のお化粧室の鏡に映る自分を見て驚愕しました。
疲れきって落ち窪んだ目、目のまわりに暗い影を落とすくすみの塊。
この時自分の衰え顔を見て楳図かずおさんがどのようにして恐怖漫画の中の恐ろしい顔を描いているのか、そのコツを自分の顔から掴んでしまったのくらいです。
肌のくすみ、色むらはわたし達に老いを感じさせるような位置に自然と配置され、それは死を予感させるものなのです。ひー!
こんなことを一瞬にして考えさせてしまう程に当時のわたしの肌はキテいたのです。それが米澤式健顔サロンへ毎週通うごとに加齢減少ではなかったと言わんばかりに急速に改善されていったのです!
まだ自宅でのセルフケアの必要性にも気づかず、ただ週に一回健顔してもらうだけだったというのに。